8月、広島県で土砂災害があり、多くの犠牲者が出た。土砂が流れる前に役所が避難のアナウンスをしていれば被害を最小限に食い止められた。役所も判断ミスを認めている。
この災害から1ヶ月経たないうち札幌市で大雨が降り場所によって洪水が発生、札幌市役所は市民60数万人に避難勧告を出した。(札幌市の人口は200万人弱)
さてこの避難勧告、広島県の災害の教訓を受けたものと見られる。アナウンスをしないで被害を起こすよりは空振りでもアナウンスをしておくべきである、というひとつの教訓である。このことは役所側の考え方として妥当であるとは思う。ただし、住民の避難行動の効果的なサポートがなされているか、それに近づいているかということは検証し続け、そして改善して行かなければならない。問題はこの検証がどこでどのように行われているか、ということなのである。
二点、事例をまず紹介する。
(1)行政区域の境界近辺の住人
目と鼻の先が札幌市でこちらは江別市。お隣では「こちら札幌市○○です。避難してください」と車のアナウンス。ところが江別市では何もない。行政区域ごとに災害が起こるわけではないわけで、どのように役所同士で連携するかが課題としてあげられる。
(2)避難したくても避難しがたい状況
アナウンスで「避難してください」と言われても、避難先は200メートル先。ところが家の周囲には歩けないほどではないが体験したことのない濁流。そして、家の外に出ても平気なのだろうかという雷。
このように行政(役所)が出す避難勧告ではカバーしきれないことが多々ある。そのことを住民も行政も認識しなければならないし、そういう認識のもとでよりよい避難方法、被害を最小限に食い止める方法を様々な集団で随時、検証、検討していくことが重要ではないだろうか。
マスメディアで「各自治体は対策を」というようなコメントが流れる。このコメントを人はどのように聞いているのだろうか。本来、その言葉からすれば自治体には役人だけでなく住民も含まれる。だから「各自治体は対策を」とあれば、それは誰もが等しく感じなければならないはずである。ところが実際は違うのではないか。「なんとかしなくちゃー」と考えるのは役人だけではないのか。
地域にお互いの安全確保のためにお互いに協力するコミュニティがあるのであれば、マスメディアのコメントや実際に受けた災害をもとに、検証、検討のための話し合いの場が設けられてもよいはずである。例えば札幌市の中でどのくらいそうした場が設けられたのであろうか。実際に受けた恐怖から住民個々に様々な疑問や不安、または今後へのアイディアなどが起きたはずである。そうしたものが自発的に交流されることがコミュニティの現れではないだろうか。
町内会や自治会ではどうだったのだろうか。結局いつも役所マター(役所が主導する)の会議やイベント、勉強会、啓発活動だけで、肝心要の住民の草の根の自発的な場は一体どのくらい設けられているのだろうか。
災害をテーマにしたが、その他各種の日々の暮らしの問題を解決するには、何よりも地域のコミュニティのあり方が鍵となるのである。「自分たちのまちは自分たちで築く」このことがあたりまえのように実践されることが「自治」であり「自治体」のはずである。