4月 3rd, 2016

コンピュータと人間

IT関連, コミュニケーション関連, by admin.

昨今、マスメディアで話題になることが増えて来た。それは、人工知能(Artificial Intelligence; AI)についてである。将棋の対戦でAIがプロに連勝、というような話はもはや誰にとっても珍しいことではないだろう。

さて、将棋ならゲームの世界のことであり、私たちの生活に直接的に影響があるわけでもなく、AIと人間の将来に関して考えてみよう思う人はそんないないだろう。しかし、この1年の間に考えずにはいられない状況が身近に現れてきたのである。

あるTV番組より。ある保育園では保母さんが園児の世話でてんてこまい。そこにAIを備えたコミュニケーションロボットなるものが登場する。園児がロボットに質問をするとロボットはそれに回答する。その質疑はロボットに蓄積される(学習される)。番組ではロボットの優れているところを紹介するのが目的だったようだ。取材者の質問に対し保母さんが「ロボットのおかげで園児にかかる手もはぶけて」というニュアンスの返答をしていた。

子どもとAIの関係でもう一つ紹介する。生後まもない赤ちゃんの泣き声を携帯端末(スマートフォン)に聞かせると、その泣き声で何を訴えているのAIが判断してお母さんに教えてくれるというものだ。かなりの確率で当るそうで、子育てのお母さんの悩みを解消するということだ。

どちらの事例についても、子どもを守り育てる側の労力を軽減することに役立つという点では理解できる。しかし、これだけでこれらのAIを利用することに問題はないだろうか。

端的にはどちらの事例も親、保護者の子どもに対するコミュニケーションの放棄である。放棄という言葉はネガティブであるが、放棄について単に否定は意味しない。放棄することによって親、保護者がストレスから開放されることがあるならば、それは一時的には良いことと捉えられるからだ。しかし、これを長い目で考えてみるとどうだろうか。

お腹がすいた赤ちゃんはある声で泣いてみせる。するとスマートフォンは親に「赤ちゃんがお腹がすいている」と知らせ、親は赤ちゃんにミルクを与える。スマートフォンなどAIなどなければどうなるか。赤ちゃんが泣いても親が思い通りに反応してくれない場合もあるわけだ。そこでこの時、赤ちゃんには「忍耐」というものが養われていくのではないだろうか。これは私の想像であるが。

優秀なAIは子どもの要望に見事に対応する。その結果として、子どもに忍耐力が付かないのではないか、ということだ。そして、こういうことが何世代も連続した場合、DNAに「忍耐」という遺伝子が無くなってしまうのではないか。あげくのはてには、ロボット(AI)無しでは生きられなくなるのである。逆にロボット(AI)に支配されるのである。もちろん、このへんは極論である。が、十分に考えられるのではないか。

<続く>

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