6月 23rd, 2015

メディアと権力

メディア関連, 自治関連, by admin.

 大阪都構想に関する住民投票が終わってから1ヶ月程度が過ぎた。この種の住民投票に関わるPR活動が一般的な選挙時のものと比較して規正が緩いことは多くのところで語られた。例えば投票当日も各種媒体(直接の声かけも含め)を通じてPRできるわけだ。

 さて、「維新」は都構想賛成票が伸び悩むと分析、どちらに転ぶかわからない女性票を獲得しようと戦略を考えた。そこで子育てなど女性に関心の高いPRを投票日直前に強調したところ実際に女性の票が伸びたのだ。ある新聞で報じられていたことだ。

 新聞やTV等、短時間で一斉に多くの人に情報を流す情報媒体であるマスメディアは、公的権力によって活用される。公的権力は選挙で得たものであるから、その権力は法の定める範囲で行使されるわけであるが、マスメディアの使用については特に限定も規定もしていない。マスメディアを扱う各企業、各組織が「公共」を意識して情報の発信者のバランスを意識するのであろうが、そのバランスのコンセプトは私たちにはわかりにくい。どのような基準でバランスをとっているのかわかりにくい。「公共」を意識しなければならない企業、組織であるが、同時に営利企業であるところも少なくない。よくよく考えてみればこれは矛盾である。

 マスメディアを扱う企業、組織は、私たちには計り知れない理論で、「公共」や「公的権力」を扱ってしまっているのである。
 
 「権力」がマスメディア、メディアを巧みに使って国民を欺くことが成されてきた事は歴史上の大きな出来事で誰しも周知の事実であろう。ヒトラーがマスメディア(当時はラジオ)や行進などを使って戦争を国民に肯定させたことや、太平洋戦争で日本の軍部が実際とは異なる戦果を新聞を通じて国民に流し、戦争を引き延ばしたことなどが挙げられる。

 私たち市民は権力を持つ者がマスメディア、メディアを使った時、そこから受け取るメッセージについて十分吟味、熟考する必要があるのである。「そんなことは歴史から学び、よくかわっている」という方もいるだろう。しかし、現実には今回の大阪都構想のようなことがあるのである。権力者の作為に市民が簡単にひっかかる実態である。

 現在はネットが普及し、ネットというメディアにおいて市民が物理的に発信できる状態ではある。各種のSNS(ネットを使って不特定多数の人が相互にコミュニケーションを図るための仕組む)によって意見交換ができる環境が広まっている。これらのことは権力者からの一方的なメッセージについて検証するのに有効な手段である。しかし、そのような意見交換の場が多様化、多数化する反面、流れるニュースのソースの大元はほとんど既存のマスメディアからのものであり、それらはネット登場以前よりもネットの影響で国民の多くに隈無く降り注がれているともいえるのではないか。ネット登場以前はTVや新聞に触れなければ知らなかったことが、今はネットで知れるからだ。ネットには主体的、能動的に使う要素がある反面、受動的に使う要素も大きいのである。一見能動的にニュース記事を読んでいるようで、読んでいる内容はTVや新聞でながらで見聞きしているものと大差ないのである。このことを「能動的受動の増進」とでも表現してみる。「メディアと権力」ということにおいて「メディア」の中に「ネット」は当然含まれるのであるが、「マスメディア」以上に「ネット」についても前述の「吟味」「熟考」が必要なのである。

 権力の何もかもが悪いとは言わない。ただし、人間がやっている以上、例えば良いことは積極的にPRするが悪い事はそうならない。悪いことも積極的にPRしなければならない仕組みに日本の社会がなっていればいいが、まだまだ発展途上である。だから、市民一人一人が権力の「悪いところ」を見破っていかなければならないのである。そうしたことを常日頃自覚しておかなければならない。

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