今、標記の件で頭に思い浮かぶのは何だろうか。
メディアとしてスマートホン(スマホ)を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
スマートホンが普及しだしたのはここ5年間だ。新しいものには人の欲求を刺激するための様々な機能があり、それは便利であったり楽しいものであるから受け入れられる。しかし、当然そこには予想しなかった問題も起こり、時にそれは深刻である。スマートホンの情報処理(入力、加工、発信)の容易性が子どもたちのコミュニケーション能力では処理しきれない情報を子どもたちに突きつけてきているのである。
スマートホンやネット、テレビが子どもたちに与える影響については別途記載する。本稿で考えて頂きたいのは「自然(ネーチャー)」というメディアなのである。人間が意図して手を加えていない対象を「自然」としよう。自然は私たちが生きて行くための土台であるが、その自然が私たちに示してくれるメッセージに対して私たちが何かを感じることは重要なことである。これは言うまでもないことであるのだろうが、現実には忘れられている。その結果、各種の災害,被害を起こしている。自然を感じ、自然を洞察し、自然と共生することは社会にとって最優先されなければならないことなのだ。
では自然のメッセージとは何なのだ。自然がどうメディアなのか。次の写真はある森林の落ち葉である。ここから何を読み取れるだろうか。考えてみよう。
葉は秋に落ち葉となる。何故秋に? ともかく秋の証拠だ。気温が低くなる。葉は赤いのや黄色いの。何故だろう。私にはわからない。ともかく色がある。そして、いつまでも同じ色はしていない。茶色になっているもの、黒くなっているもの。葉の種類ももちろん様々だ。専門家が見ればその夏の様子など他にも様々な情報をこの落ち葉の様子から得るであろう。ちなみにこれは落ち葉の一部を一瞬切り取った写真でしかない。触った感触や匂いは実際に観察しなければわからないのである。
落ち葉は科学的なことばかりでなく、他にも私たちの心に何かを伝えてくれる。その多種多様な色や形は芸術的な創造力をかき立ててくれることもあるだろう。絵画や音楽、詩、彫刻といろいろだ。
動物はそれぞれの動物なりに自然に対応しながら生きてきた。人間だって同じだ。ただ、言語を使い自然の一部を伝えることができるようになった。だから私たちは実際に見たり聞いたり触ったりしない自然のある部分についても知識として他者から取り入れることができるようになり事実そのようにしてきた。そうして取り入れた知識により、旅行の前に何かしらの準備をすることもあるだろう。天気予報を聞いて明日のことを予想するのは多くの人に共通することだろう。先人達、他者の英知を良いことに活用することは人間として大切なことであるのは言うまでもない。ただし、そこに甘んじてはならない。先人達、他者が自然に対して正確な洞察をしているとは限らない。そして、何よりも自分自身の自然に対するアンテナ(感受性)や情報処理能力は自然に直接接すること以外には育まれ磨かれることはないのである。考えてみれば人間だって自然である。人間が人間自身のことも理解できていないわけである。自然に対するおごりを捨て常に謙虚に自然から学ぶ姿勢が人間にとって大切なのである。このことを子どもたちに伝えていくことをもっともっと充実させて行かなければならない。子どもたちが自然というメディアから何をどのように読み取るか。読み取ったものからどのような行動に移っていくのか。このへんの力は国際社会の中の個人、国際社会の中の国、国際社会の中の地域にとって大変重要なものである。