4月 20th, 2015

新聞の見出しに見る地方自治のある一面

メディア関連, 自治関連, by admin.

 沖縄県の米軍基地を辺野古に移設することで沖縄県庁と日本政府の意見が対立している。沖縄県庁と日本政府の初会談についてのニュース記事が大手新聞社の第3面に次の見出しで掲載された。

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大見出し
「政府 沖縄配慮を強調」
その下の注釈見出し
「辺野古移設 初会談』

中見出しその1
「管長官 低姿勢で理解求める」

中見出しその2
「翁長知事 強硬姿勢崩さず」
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 ところで、日本国憲法では地方自治について地方自治法に定めるとある。その地方自治法は次のとおりに始まる。

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第一条  この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。
第一条の二  地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
○2  国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。
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 これを要約するならば「日本政府は住民に近い事柄は地方公共団体の自主性に任せる」であろう。「国」というものが具体的に記載されていないので「日本政府」と読み取っていいのか釈然としない(こういう部分は重要な法律の条文では無くすべきであると考える)が、いずれにせよ地方公共団体と国はそれぞれが日本の政治を役割分担をするための機能的な存在であって、上下関係があるということは無いのである。つまり日本の政治について地方公共団体と国は「対等」なのである。

 この「対等」な関係で会談、会議等の話し合いを行った場合、通常どのような環境においてそれが進行されるべきであろうか。「対等」に細心の注意を払うならば、なるべく中立的な場所で会議を行うだろう。そこまですることはなく、どちらかがどちらかに出向くとしよう。受け入れ側は日本人として一般的な儀礼で出迎えるであろう。そして会議で交わされる言動は「対等」を意識して行われるべきであろう。

 しかしこの「対等」の意識がないと、言動の端々は特に乱れてくる。実際、この沖縄県庁と日本政府の会談の中でも問題視された言動があった。ここではそれには触れず、あくまで新聞の見出しに関して見てみる。「管長官 低姿勢で理解求める」とある。対等な関係における初会談の中で低姿勢というのはどういうことなのか。実は新聞の本文(内容)を読んで行くと、具体的に低姿勢のところはない。うがった見方をすれば、一般的な「対等関係」が日本政府にとっては「低姿勢」であると読み取れるのである。「政府 沖縄配慮を強調」とあるが、どのような配慮をどのように強調したのかその内容はない。「翁長知事 強硬姿勢崩さず」とあるが、何度かの会談にも関わらず変更のない姿勢ならともかく、初会談で「崩さず」もないだろう。

 新聞の見出しから日本の自治の実態が読み取れる。日本政府(中央政府)と地方公共団体の関係は政治的に対等であるという旨が憲法に示されているので、形式的儀礼的にはこの「対等」で物事を進める。しかし、精神的意識的には日本政府が上である、日本政府の言う事が優先されるというものがあることを新聞は醸し出している。もし名実共に「対等」であるならば、会談の内容は、何故沖縄辺野古でなければならないのか、何故沖縄県は拒否するのか、この双方の理由が改めて取り交わされてしかるべきであると考える。会談の内容がそのような点に帰着しないならば、新聞はそこを言及するべきである。より論理的な内容が会談に求められる。しかるに新聞の内容を見るかぎり会談は感情論が飛び交うだけといっていい。

 日本政府と地方公共団体の関係はどうなっているのか。そういう観点でマスメディアからの報道を読んでみると、日本の地方自治の実態が見えてくる。

 
 

 

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